大ブナ(根元にウロがあるのが見えますか?) ブナ |
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昔は「江戸出し城米」といって藩から運んだことを初めて知りました。 たとえば江戸と松代間を250qとして馬に引かせた大八車で1日20q進むとして 12日の旅の計算だ。それとも馬の背だけで運んだのだろうか?それならもう少し早いと思うが・・。 参勤交代で江戸詰の人達がその古里の米を食べ思いを馳せたのかもしれません。 |
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ここから入ります 最初の道標 次の道標 |
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東側より撮す 枝が枝垂れていて一番傘形に見える |
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西側より撮す 季節により、角度により姿形がいろいろに見えるようだ |
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左女松(裏で見えないが樹脂でウロを補修してある) 右男松 意外と場所が分かりにくかった |
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説明文です |
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道標です |
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高ボッチ山で咲いていた花々 今少しずつ野の花の名を覚え中 | ||||
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ツリガネニンジン 沢山咲いていました タチフウロ?(ハクサンフウロやアサマフウロではないようだ) |
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タチギボウシ? 中ヤマハハコ? シナノナデシコ (コバギボウシやオオバギボウシではないように感じる) (タカネナデシコやカワラナデシコではないようだ) |
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天気がよければ富士山もよく見えるようです この碑の後ろに木柵がありその中に遊歩道が付いています |
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登山道のブナ1 スキー場脇のブナ2 |
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ブナ混合林(手前左と右端に細いがブナが見える) |
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駐車場からの茶臼山(左の尾根を登る) |
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茶臼山高原スキー場のリフトとブナ2。背景左茶臼山、右遠方恵那山 |
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左ブナ看板 中カラマツ 右多分ツガ(モミ下) |
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左ウリハダカエデ 中カマツカ 右駐車場から見るブナ2(望遠で撮す) |
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左山頂手前は灌木林、下にクマザサ 中山頂展望台 右山頂標識 |
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駐車場の案内図(現在地から左の尾根を登ったが、他に何本かの道があるようだ) |
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懐かしい人の名が・・・。スギのすぐ側にありました |
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信玄塚と信玄の宝篋印塔 砦のイチイ(根羽村文化財) 目通り3.0M 樹高10.0M R153に大きな標識がある R153脇、偶然見付ける ※宝篋印塔は聞き慣れない言葉であるが広辞苑では ・ それと想像するに看板には書かれていなかったが下の1段か2段失われているのでは? ・ 平谷村に行く途中偶然見付けました |
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信玄は三河野田城攻略中に病にかかり甲斐に帰る途中1573年この地(根羽村横旗)で 53才で亡くなった。その後武田は勝頼の時代になり1575年長篠の戦いで負け 急速に勢力を失い信長連合軍に天目山で敗れて幕を閉じた。 没後100年でこの宝篋印塔が建てられたと書いてある。 |
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マツ1 マツ2 |
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マツ3(4本の一番奥。ここの間隔は狭い) 参道と松並木 |
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通行止めで神社までは車で行けない 松並木入口 |
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本郷
本郷の林道入口に立っている天然記念物のエドヒガン |
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道路下正面からのマツ |
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横の方が太い 正面に宝篋印塔が立つ |
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木の斜め下の家が半田さん方らしい。 2003年に600遠忌が行われたのだろうか JA上の実相院にも宝篋印塔があることを後で知った。近くなのでこちらも見たかった |
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標識の奥の2番目に太いミズナラ 頂上近く二股のミズナラ、これが一番太かった |
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峠近くのモミ植林帯に道は付いている、太さ10〜20p 頂上近くのミズナラ林 |
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モミ林上のミズナラ林 クリもかなり混じっていましたが落葉中は区別が付きにくい 下はミヤコザサで標高も十分で典型的なブナ林の環境だがブナはなかった |
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好展望台より荒波に漂う航空母艦−荒船山− 左船尾の艫岩(ともいわ、1297M、高低差200M)、右舳先(へさき)の経塚山(きょうずかやま、1423M) 右端別の山で兜岩山(1368M)、その左の尖りが御岳。 |
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峠への林道から見る自然林に覆われた熊倉峰(左) |
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円形の筒はエスカレーターです |
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