ほうきょういん‐とう【宝篋印塔】 宝篋印陀羅尼を納める塔。後には供養塔・墓碑塔として建てられた。 呉越王の銭弘俶(929988)の八万四千塔(日本にも渡来)が原型で、 鎌倉時代以後、一定の形式が成立。石造が多く、稀に金銅・木製もある。 (参 考)同じく広辞苑から ごりん‐とう【五輪塔】 五大にかたどった五つの部分から成る塔。 下から地輪は方、水輪は球、火輪は三角、風輪は半球、空輪は宝珠形。 平安中期頃から供養塔・墓塔として用いた。 石造が多く、金銅・木・泥土などでも造った。五輪卒塔婆。 ※コメント 五輪塔は同じく5段であるが下から2段目が丸い。 これは多分日本で考案されたのだろう。 宝篋印塔の場所に併せて設置されていることが多々あった。 (参 考) 鬼岩寺(藤枝市)に上記以外の説明の看板がありました ので参考にしてください。 関東型と関西型があるという(2011,1,25記)