彼がブログに載せた写真は
どれも素晴らしいものと思う
。が結局達成感がないという
表現から達成感を感じるま
で毎日遊水池に通い撮りま
くると言うことを言いたかっ
たのだろう。でもよく考えて欲
しい。人生だって「思うように
なった人」は僅かだ。多くの
人がそうでないことに気づき
嘆いているはずだ。
ではこういう人生をどう乗り
越えていけばいいのか?良い言
葉がある。「足を知る」とい
う言葉だ。完全な達成、完全
な満足を求めてはいけないと
いうことだ。そうでなければ
ギャンブル中毒のように、誤
った欲望にとらわれ「鳥中毒
」(鳥が居なければ生きて行けない、なりふり構わず鳥を撮ったり追い
かけたりすると言うような意味で私が考えた言葉)になる
危険性だって考えられない
わけではない。そうならない
よう私たちは十分考え行動
しなければならないだろう。
最後に私が最も危惧すること
は、本来探鳥や撮影は個人の
自己満足で楽しいものだ。だか
ら彼の「達成感」も自己満足の
ために終わるべきだ。しかるに
彼は「その先」を求めては居な
いないと信じたい。「その先」
とは何か?例えば優越感、人
を屈服したい、称賛されたい、
そのことにより静岡の野鳥の世
界を支配し君臨したい、野鳥を独
占したいというような果てしな
い欲望の渦の世界だ。こんなこ
とをすれば静岡の野鳥の世界は
「破滅」してしまう。こんなこと
は全く考えていないと信じたい
。「達成感」がその為の「手段」
で無いことを祈るばかりである
。