須玉町
(現北杜市)

遠照寺のアカマツ








須玉町穴平2625
遠照寺

S45,10,26県指定
2本
東 目通り 3.22M  根回り 4.85M
西 根回り 3.35M
西のマツは地面に這うよう伸びている

本殿横には他に町指定天然記念物
オハツキイチョウがある 写真左

アクセス
養福寺より10分
須玉川沿い
日蓮宗のお寺

2000,11,18撮影

諏訪神社のヒメバラモミ 枯死


枯死したヒメバラモミの切り株




ケヤキ



須玉町上津金474
諏訪神社

S60,3,19県指定
目通り 3.8M
樹高 32.0M
樹齢 500年
但し、昨年枯死、今年切られて、神社
に切り株が置いてある 写真上段左

神社には、目通り4.5M、樹高30.0
Mの大ケヤキがある 写真上
アクセス
万年橋より車で15分
小さな神社である


2000,11,18撮影

根小屋神社の大ケヤキ  







須玉町江草5336
根小屋神社

S33,5,15国指定
2本
目通り 15.0M 推定
樹高 20.0M
樹齢 1000年以上

これはスゴイケヤキである
静岡、山梨の木を200本近く見て
きたが。目通りの太さとしては最大
である。まるで岩のようだ
ケヤキの寿命はそれほど長くはな
いのではと思っていたがそうではな
い。スギ、クスなどに匹敵する長さで
ある
当日大阪より来た夫婦は全国の
1000年以上の木を見て回っている
とかでしきりに写真を撮っていた
「田樹畑樹」といわれ、農耕の目安
となる木
アクセス
増富線の江草のトンネルを抜け、すぐの
所の橋を渡って200M

根小屋とは山の上に城のある城下町の
意とか


2000,11,18撮影

比志のエゾエノキ







須玉町比志258

H2,12,20県指定
目通り 4.2M
樹高 15.0M
エノキとエゾエノキの区別は、後者は葉に
ギザギザが多く、実が黒くなるそうである
関東以北に多いようである
根元に空洞あり
アクセス
比志神社の先100M


2000,11,18撮影

比志神社の大スギ




須玉町比志反保872
比志神社

S36,12,7県指定
目通り 8.6M
樹高 33.0M
樹齢 5〜600年

立派なスギである
樹齢ももう少しありそうだ 私見
アクセス
比志の村の橋を渡り、感じの良い川沿い
にある


2000,11,18撮影

須玉町日影のトチノキ 





富士浅間神社のスギ

須玉町比志字下山4932−1

S54,2,8県指定
目通り 8.2M
樹高 30.0M

今回は、八ヶ岳のホテルに一泊して山梨県
北部の木を中心に見て回ったが、一番感
動したのがこの木である
葉はすっかり落ちてしまっていたが、大きさ、
太さとも文句の言いようがなく、偉大さを感じ
る木であった

すぐそばの小さな富士浅間神社には、天
然記念物に指定されてもよいスギの木があ
る 根元に空洞あり 写真上中と右

アクセス
比志より15分
日影部落の橋を渡り、すぐの倉庫
の所を右折、看板があるので車を
止め、徒歩5分




2000,11,18撮影

大豆生田のヒイラギ
まみょうだ




須玉町大豆生田238

H2,2,7県指定
根回り 4.75M
樹高 7.7M
葉が丸くなるほどの樹齢が経っている
アクセス
中央高速道のすぐそば、道沿いにある

「南無妙法蓮華経」と刻まれた大きな
石碑がある。これは江戸末期開国の頃
国の安泰を願って付近の村民が造った
ものだそうだ。その思いに感心する
お墓もある

2000,11,18撮影

若神子新田神明社のモミ
わかみこしんでん





北杜市須玉町若神子新田
神明社

モミ 県指定天然記念物
目通り 5.5M
樹高 30.0M
樹齢 200〜300年

今年のNHK大河ドラマ「風林火山」
の旅を兼ねて、12/10・11の諏訪・
上田方面の旅に続き、韮崎・甲府方
面の旅を実施する。
前夜韮崎のホテルに一泊、朝先ず神
明社のモミを見にゆく。
茅野〜韮崎線から200Mほど入った
小さな神社ではあるが立派なモミだ。
側面に痛みがあるが補修されており
樹勢はよい。静岡にはこれだけのモ
ミはない。
この後勝頼最後の城新府城跡を見に
ゆくが、途中能見城跡の看板があった
ので見学することとする。荒れた道で
城跡らしきものは何もないが、子孫の
守屋氏がたてた立派な石碑がある。
新府城跡は小高い丘の上にあり10分
ほど歩かされる。長篠の戦いで織田・
徳川連合軍に負け背水の陣で造った
新府城も織田軍の攻撃で自ら焼いて
天目山に敗走するも力つき自害した。
戦国乱世の哀れを感じる。その後甲府
に立ち寄り、躑躅が崎館があった武田
神社、信玄が荼毘に付された信玄公
墓、正室三条夫人の墓所円光院、母
大井夫人の墓所長禅寺、諏訪頼重と
長男信義の墓所長光寺(大河ドラマで
は分からなかった長男信義蟄居の理
由がここの碑で分かった※)、長野善
光寺を模して?造られた甲斐善光寺
を見学する。

円光院社殿右に大きなシラカシがあった。



信玄公墓には天然記念物のヤツブサウメ
があった。



長禅寺の大井夫人の墓所にいく途中に大
きなエノキがあったが、デジカメの電池切れ
で撮影できず。

※その後DVD「風林火山」最終回の紀
行を見たら、信義が義兄弟の今川氏真の
駿河攻めに反対し蟄居させられたと述べ
られていた(2008,6,3)

アクセス
茅野〜韮崎線上に神明社のモミの標識
があり、そこを入って200M先のT字路を
右折。

2007,12,29撮影


本谷川渓谷の七福神の木

寿老の木               福禄寿の木

布袋の木                恵比寿の木

黒森付近からの日本百名山、岩峰瑞牆山。頂上右に大やすり岩が見える

100選の看板  
ミズナラが多いが、他にキハダ、イタヤカエデのプレートもあった。何しろ樹種が豊富だ

本谷川渓谷                                 弁慶の力石(右端に小さく見えるのが看板−比較してください)
                                             この岩何トンあるでしょうか?私は300トン位はあると思うのですが・・・
北杜市須玉町
本谷川渓谷

寿老の木 ミズナラ
目通り 3.4M 実測値
樹高 25.0M

福禄寿の木 ミズナラ
目通り 3.8M 実測値
樹高 20.0M

布袋の木 ミズナラ
目通り 2.7M
樹高 20.0M

恵比寿の木 ミズナラ
目通り 1.8M
樹高 15.0M

あと3本は気が付かなかった。
(所在のマップがほしい・・・)

信州峠を下ると黒森の分岐に着い
た。すると今から25年ほど前であ
ろうか?子供が小学校の頃登った
ことのある岩峰瑞牆山※がその壮
大な姿を見せた。当時を思い出す
と頂上直下岩の間を四つ這いにな
って登ったものだ。本当によく登っ
たものだと今更ながら感心してしま
う。

その瑞牆山の方に進路を取る。今
日は途中から木賊峠を越えて昇仙
峡に下りる予定だ。
所が案内図の見方を間違って、増
富ラジウム温泉の方に進んでしま
った。これが怪我の功名か?本谷
川渓谷に沿って七福神にあやかっ
てミズナラの大木が立っていた。命
名は看板によると社)山梨林業研
究会となっている。他の看板によ
るとこの地が信玄や日本武尊の東
征、弁慶、七福神の逸話があって
その七福神に「あやかって」付けら
れたようだ。遊び心もここまで来る
と大したものだと感心してしまう。全
部は見なかったが、全部見れば「
御利益」があるのだろうか?

2010,9,14撮影

アクセス
中央道須玉ICから1時間程度

※日本百名山深田久弥の解説
「瑞牆(みずがき)という名は私
は、大へん好きである。そして
この名はこの山にふさわしいと
思う。瘤岩と呼ばれたほど、大
きな岩のゴツゴツ立っている山
である。その大岩の群れを、神
の宮居の玉垣すなわち瑞牆と
見立てられないことはない。」
(深田久弥)