![]() ![]() この木は上の枝が切られたため箒の様になっている |
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![]() ![]() もし1本ならば最大だ |
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![]() ![]() エノキ林 横は瀟洒な美和野団地 |
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エノキを追加 | ||
![]() このエノキは同じ林の川の淵に近い1本で2幹に分かれているが 根回りは5.0M近くあり静岡市でも最大級の1本である 2012,3,6撮影 |
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エノキの藪が刈られました | ||
![]() ![]() 上の写真のようにエノキの木の周りは竹藪でしたがすっかり綺麗に刈られていました 2012,11,28撮影 |
![]() ![]() イチョウ シロダモ?斜面がきつく近寄れない 墓地(個人所有)を守る様に立っている ・ 銘に「慶長」があり、古い時代から人が住んでいたことが分かる ・ |
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![]() ![]() スギ |
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![]() ![]() スギ(最大) この後ろのスギは撮らず 神社(普請中)の全景 大きなスギが4本 |
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![]() ![]() 俵峰はかなり広い茶畑で背後の竜爪山は霧の中 俵沢つずら折り茶園 静岡県棚田等十選認定の碑(平成11年、静岡県知事) |
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同じカツラの写真を追加 | ||
![]() このカツラも含めて周りの木々もすっかり葉が茂り 薄暗い森に変わっていた。訪れる人もなくまるで原始の世界だ。 2012,5,16撮影 |
![]() ![]() オオモミジとその根元の大きなウロ |
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![]() ![]() その葉です 直ぐ上のスギ 目通り2.7M 樹高30.0M |
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![]() ![]() 小公園にある案内図 山腹コースの表記がないのは疑問だ |
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![]() ![]() 聖一国師(栄西禅師)が種をここに植えたのが1244年という 登山口の看板 |
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![]() ![]() 200M上の茶畑 ここに分かりずらいが山腹コースの道標が やや危険な所はロープが |
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![]() ![]() 梯子の下がその石 所々にティーロードの道標 この上で沢を渡りヒノキ林の急坂へ |
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![]() ![]() 分岐の道標 釜石峠へはここから10分 山腹コースの巻き道 2M程のスズタケが道に迫る所も |
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![]() ![]() ガレ場です ・ |
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![]() ![]() 墓地全景 エノキ(後ろに宝篋印塔) |
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![]() ![]() ![]() 登り口横の更地(このガードをくぐり抜ける) 広い登山道 AUのアンテナ(後ろに茶畑への道) |
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![]() ![]() 茶畑の真ん中より上に墓地 墓地より真富士山を俯瞰。城は下方にあったという |
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その後の「安倍七騎」(余話)あべしちき | |||
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(余話の余話)「武川十二騎」むかわじゅうにき | |||
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![]() 則沢口から久し振りに文珠岳に登った帰り同じ道を下りたくなかったので分岐から 南尾根を下り東海自然歩道のベンチのあるところから中電送電線巡視路に入る。 ここには道標が付いている。既に数回歩いたことのある道ではあるがいい道であ るが歩いている人は少ない様だ。2・3ヶ所谷側に道がザレているところはあるが それほど危険というわけではない。この木は丁度中間点の登山道から7〜8m下 の斜面に生えていた。少し近づいたところから写真を撮り樹種の判定を行ったが 右はスギ、左はケヤキで、奥はカシと思われるが樹種は分からなかった。幹径 はそれぞれ50p未満で太いわけではない。合着と言うより寄せ植えに近いが3 種がこう近くに生えるのは珍しく思われるので載せることにした。 (2012,11,10撮影) ※ここでは則沢口から西の巡視路を仮に「西の送電線巡視路」とし、北東のものを 「東の送電線巡視路」と呼ばせてもらうことにする。 地図は(2)をご覧下さい。 |
![]() ![]() 則沢口終点の登山口・道標はない 最初は小さな沢の横に道は付いている |
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![]() ![]() 中電送電線巡視路でプラスチックの階段 全山スギ・ヒノキの植林帯。市有林の可能性大 |
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![]() ![]() 尾根に鉄塔が建っていた 平山・清水方面 |
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![]() ススキ原で眺望は良い。左・文珠、右・薬師 |
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![]() ![]() 道白山への尾根道 15分位行くとこの標識が |
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![]() ![]() 更に100m程行くと道は笹藪に消えていた。ここで引き返す 危険標識から下にリボンが付いていたが道は不鮮明で下りず 道白山一つ手前のピークと思われる ・ |
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![]() ![]() コナラ1(下) コナラ2(上) |
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![]() ![]() 鉄製の立派な道標です 沢手前の倒木 |
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![]() ![]() 最初の沢 2番目の沢 |
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![]() ![]() 暗い植林帯の斜面に道はしっかり付いています かなり上にモノラックのレールが |
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![]() ![]() こんな看板もありました 送電線が目の前に見えてきました |
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![]() ![]() その送電線です 両側切れ込んだヤセ尾根に古い丸太橋が付いていた 情けないことに足がすくんでここで引き返す。虎ロープも付いているがそれでも渡る気にはならなかった |
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![]() ![]() 山を下渡まで下りてくると広場がありここで食事をします。 よく見ると大河内北小学校跡地でした。 樹齢100年程度の銀杏(雄株)が真黄色に色づいて見事でした。 その横には『心の碑』があり昭和43年在校生82名一同と刻まれています。 当時はこの先の山の上の有東木からも生徒が通学していたのかもしれません。 その横には錆びて棒が曲がった鉄棒がありました。 それらを見ているとふと往時の生徒の歓声が聞こえてくる様で ジーンとして感傷的になってしまいました。 |
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![]() ![]() 茶畑から見る足久保小学校 その最上部から登山道が付いている(これを目印に) |
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