その他 東部地区

伊豆地方
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函南原生林の大ブナ(函南町)     枯死




田方郡函南町
函南原生林内

日本最大との標識あり

ちなみに、白神山地のブナの葉は太
平洋側の3倍の大きさがあるという
これも雪解け水が多いからです

ブナの寿命は300〜400年 100年か
けて成木になるという
さしずめ函南のブナは300年前後か
アクセス
国1三島より箱根峠へ行く途中
山中城址脇から右にはいるか
(分かりにくい)
函南町から上る 上記案内函南駅前にある
徒歩30分は歩くつもりで

江戸時代よりの不伐林
静岡県知事「不伐の森」の碑
アカガシ、ヒメシャラ、ミズナラ
などの大木あり

1993,1,17撮影

注)この木は残念ながら3年ほど前枯れ
てしまったと聞く(2009,2,9記)

天城ブナの純林 (旧天城湯ヶ島町) 

田方郡天城湯ケ島町
天城山中

ブナ純林 それは見事である  
写真は太めの大木(御幸歩道)
下はササが多い
アクセス
八丁池から御幸歩道(昭和天皇が歩いた
道)を下るか、旧天城トンネル手前より車で
はいる巻き道から徒歩30分
1時間は歩くつもりで

八丁池(写真左下)も是非見ておきたい
巻道から徒歩往復3時間以上


1993,5,29撮影


八丁池



天地神社の大木(函南町)


ケヤキ


ナギ


ムクノキ


オガタマノキ
アクセス
東部 函南町 天地神社に同じ

1999,12,29撮影 

田沢の大木(旧湯ケ島町)


ヒノキ


シイ
アクセス
田沢のイヌマキのある大川さんの家の門の
所に2本の大きなヒノキがある 
さらにその先200M道がTの字に交差する
ところの神社に大きなシイの木が2本ある
路端で休んでいたおばあさんが話してくれ



 
2000,4,11撮影

柿木神社の大木(旧湯ケ島町)

アクセス
法泉寺の50M手前の柿木神社にある
落葉樹で地元のおじいさんに名前を聞
いたが忘れたとのこと 根元で3股にわ
かれている
この神社には依然大きな松があり枯れ
てしまったが、年輪を数えたら380数え
られたそうだ 中心部は腐っていた


2000,4,11撮影

大瀬八幡宮のカシ(南伊豆町)


石廊崎の手前大瀬と言うところにある
小さな神社です
鳥居の両脇などにカシと思われる大
木があります
名前が分かりましたら教えて下さい



2000,6,23撮影

ユウスゲ公園(南伊豆町)



木じゃないのではないかとお叱りを受ける
かも知れませんが、余りにも景色が美しい
ので載せました
所は石廊崎西マーガレットラインの中木
と言う辺りです

ユウスゲと言う名もロマンを誘います
7から8月の夕方咲くそうです

2000,6,23撮影



宇久須神社のムクノキ?(賀茂村)

水明寺の100Mそば

鳥居の両脇とその奧に3本の大木がある
落葉樹である
カツラではないかと当初思っていたが、ど
うもムクノキ?らしい


2000,6,23撮影

赤沢海岸のクロマツ(伊東市)





河津三郎暗殺の三本カシ



朝日を見ながらの海岸露天風呂
はいかが?

伊東市下入谷
赤沢海岸 民宿 山口さん玄関前

目通り 4.5M
樹高 20.0M

久し振りの旅行で近くに来たら、民宿前
に大きなマツがあった。伊東市名木の
小さな看板あり。(平成7年指定)
アクセス
R135赤沢海岸信号から50M

海岸に無料の?露天風呂あり

またR135の1本山側の道に「曽我物語」
で有名な河津三郎暗殺の地がある。
その近くに同じく河津三郎の血塚{墓)も
ある

2005,6,29撮影

ペリーロードのスダジイとクロマツ(下田市)


スダジイ




クロマツ



なまこ壁とペリーロード


ジャスミン寺の了仙寺


河津バガデル公園
下田市ペリーロード

スダジイ
幹周り 4.0M
樹高 15.0M
何本かある最大のもの。樹の前に
樹齢500年の小さな看板あり
※私見であるが500年はややオーバー

クロマツ
目通り 2.5M
樹高 25.0M
開国広場に行く途中、カーター
大統領の胸像の隣りに、スーッと立っ
ている

以上2本はペリーロードで偶然見つ
けた。
エスパルスドリームフェリーの伊豆
花めぐりの日帰りツァーに参加。
清水港から土肥までフェリー、後
は観光バスで、河津の花菖蒲園、
同じく河津バガデル公園のバラ、
下田市ペリーロードのアジサイと
ジャスミンが見学コースだ。バガ
デル公園は広く一見の価値はあ
るだろう。帰り際、駐車場脇に
大きな木を見つけたがバスは動いており
樹種不明。クスノキのような感じであった。
了仙寺はペリー提督の接見所であった所
で沢山のジャスミンに囲まれていた。
撮影 2006,6,5

伊豆山稜線歩道のブナ林ほか(伊豆市)  


最大のブナ


ヒメシャラ上部


最大のヒメシャラ


アセビの原生林のトンネルが続く


目通り1.8Mのもの


根回り3.0Mのもの


朽ち果て苔むす幹に次の世代が


250万年前の火口湖

正面後藤山、その左肩猫越岳、仁科峠より
伊豆市(旧天城湯ケ島町と
西伊豆町との境)
伊豆山稜線歩道

ブナ
目通り 4.0M 最大1本
     猫越岳(ねっこだけ)手前
樹高 15.0M
他目通り 3.0M 3本

ヒメシャラ 
目通り 1.8M 最大
樹高 15.0M

アセビ 原生林を形成
目通り 1.8M 最大
根回り 3.0M 最大
樹高 10.0M 最大


今年は樹木見学に余り行けなかったが、
最後を締めくくる旅をどこにしようかと考え
た結果、伊豆山稜線歩道のブナの見学
に決定。
清水港から駿河湾フェリーで土肥へ。途
中日本最大の達磨とかの達磨寺に参拝。
宇久須からR410で標高900Mの仁科峠
に着く。
車を置いて牧場横の笹の尾根道を歩き始
めたが、天気は曇りで海からの風が強い。
最初の展望台を過ぎるとアセビの原生林
が始まり風は気にならなくなった。このア
セビの原生林はすごいもので猫越岳まで
延々と続いた。何百年にも亘るもので、朽
ち果てた幹に幼木が生え、輪廻転生を見
ることができる。


後藤山にもブナの大木はあったが目通り
1.5M位のものだ。
下った鞍部から火口湖を挟み猫越岳まで
には更に大きなブナを見ることができる。
ここのブナは太平洋側の特色で、すらり
と伸びず下の方から枝を横に張り、幹の
肌も灰色でなく焦げ茶色である。私が一
つ疑問に思うものは住んでいる静岡市の
北の1000Mの竜爪山にはブナは1本も
なく、その北の真冨士山1400Mまで行
かないと見ることができないといううことで
ある。しかも巨木はない。
猫越岳に来て初めてヒメシャラの大木に
会うことができた。(ここのヒメシャラは幹
が分かれ、肌の色がくすんでいる)。そ
してこの火口湖は250万年前にできた
そうである。
比較的アップダウンの少ない登山でここ
までで約1時間であり、久し振りにブナの
巨木や原生林にふれて、充実した1日で
あった。

アクセス
西伊豆の宇久須、中伊豆の天城湯ケ島
から仁科峠まで車で30〜40分である。
西伊豆スカイラインや船原峠から来る方
法もある。





2006,12,7撮影

河津桜原木ほか (河津町、南伊豆町)


原木






人と店でごったがえす会場


この日一番のこぼれんばかりの桜


みなみの桜と菜の花

     河津桜の原木
河津桜の原木は、伊豆急河津駅 から天城方面に向かって1.2 kmの地点、飯田氏の庭にありま す。現在は、樹齢約50年・樹 高約10m、樹巾約10m、幹 周約115cmです。 河津桜の原木は、河津町田中の 飯田勝美氏(故人)が昭和30 年頃の2月のある日に河津川沿 いの冬枯れの雑草の中で芽吹い ている桜の苗を見つけて、現在 地に植えたものです。昭和41 年から開花が見られ1月下旬頃 から1ヶ月にわたり咲き続けま した。 この桜は、河津町に原木がある ことから、昭和49年に河津桜 と命名され、昭和50年に河津 町の木に指定されました。     河津桜の特徴 河津桜は、寒緋桜と早咲き大島 桜の自然交配種と言われており、 樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で 光沢がある。花形は平開形で一 重のやや下向きであり、花弁は 5枚の円形で無毛である。 色は蕾の時は濃紅色だが、満開 時は淡紅色になる ※以上河津町HPより
賀茂郡河津町
原木(飯田家)、桜まつり会場(河津川岸)

賀茂郡南伊豆町
みなみの桜と菜の花まつり会場(青野川岸)

ソメイヨシノの満開は毎年見るものの、日本
で一番早く咲く河津桜は一度も見たことが
なく、一度は見たいと思っていたところ、
昨年参加したドリームフェリーより格安の
日帰りツアーの案内が来たので参加した。
まず一番の目的である原木に直行。
町のHPhttp://www.town.kawazu
.shizuoka.jp/index.html
によれば、今年の満開は2/22であったよ
うだが、ややすぎたとはいえほぼ満開で美
しい姿を見ることができた。原木を見に来
る人も少なからずいて嬉しく思った。日本
の河津桜はこの1本から始まったのだから
。この後バスターミナルの所の一番咲き誇
った桜を堪能、川岸の会場に行くが、人ま
た人で桜を見るどころではない。個人的意
見を言わせてもらえば、反対岸にも植えるな
ど分散すべきであると考える。平日でも全国
よりこれだけの人が集まるのにも驚きであ
るが観光としては人集めとしては大成功で
あったと思うが、一面大きな問題も孕んでい
るように思う。次にバスは下田市を通り南
伊豆町に向かう。こちらの会場はバスの
案内ではとうに満開を過ぎたとのことだが、
来てみるとほぼ満開であり、木も大きく、
間隔も広く、菜の花あり、見る人も少なく、
ゆっくり見れたことに満足を得ることができ
た。南伊豆町HPhttp://www.town.
minamiizu.shizuoka.jp/index2.php

2007,2,26撮影



河津町

南伊豆町

皮子平原生林の大ブナ(伊豆市) 
かわこだいら


天城一?のブナ


その上部


その上部


その根元


皮子平を示す林野庁の看板


皮子平にはブナの巨木が林立


極相のブナに対し途中相のヒメシャラは
伸びず


皮子平と火口原の間のツガ 何本かある
目通り3.0mM


岩にビッシリと苔が 太古の姿を見る



火口原 何百万年前か?


林業小屋付近のモミ
目通り4.0M 樹高30.0M


ゲートから1q 唯1本あったカツラ
根回り3.0M 樹高15.0M


スギ林をゆく筏場林道


御礼杉の看板


御礼杉 樹齢250年


筏場の沢にはわさびが一面に栽培
されている おそらく伊豆一であろう






筏場林道の略図





皮子平付近の略図
伊豆市筏場林道(いかだば)奥
皮子平原生林

大ブナ 1本
目通り 4.5M
樹高 30.0M
皮子平の一番奥に立っている

ブナ巨木 10本 ざっと数えて
目通り 3.0M
樹高 25.0M
これ以下のもの 100本はあり

これで当ページも連続3回ブナになってしまった
がお許しを願いたい。今日もハプニングの連続
で、過ぎてしまえば「今日も楽しからずや」という
ところであるが、書いていると疑問やら要望やら
色々浮かんできてまたまた長くなりそうだが、お
暇の方は最後までお読みいただければと思い
ます。
木のことに入る前に、この地の概略を話してみた
い。これも現地に行って分かったことだが。皮子
平は天城最高峰万三郎岳の北面に位置し、は
っきりは分からないが標高1,000M前後であろ
う。(その後の調べで1,100Mらしい)何十万
年、何百万年前の火山の噴火ですぐ近くに火
口原があり、手ずかずのまま太古の姿を残して
いる。入ると全くの「不思議な世界」に迷い込ん
だようだ。この原生林は富士山の青木ヶ原の原
生林、大室山の原生林と似ているがまた一味
違う。冬なので枯葉の絨毯に敷き詰められ、ご
ろごろした岩には京都の苔寺のごとくビッシリ苔
が付き、岩の周りには木の根がむき出しになっ
ている。次ぎに書く国有林のスギ林とは対照的
だ。私は井の中の蛙で全国の原生林は知らな
いが日本で有数のものであることは間違いない
だろう。
この原生林を取り巻くように広大な国有林のスギ
林がある。紐解けば江戸時代からの天領で、韮
山代官所が管理していたという。当時からスギ、
ヒノキ、マツなど9種は制木で住民は切れば厳
罰に処されたという。住民が9種以外の木を切ら
せてもらった後に御礼にスギを植えたという。看
板にあるように今は「御礼杉」として僅かに残っ
ている。目通り4.5M、樹高30.0M、樹齢250
年に達する。
明治政府になり天領はそのまま国有林になった
のであろう。この辺には山梨にあるような恩賜林
もない。その後も植林は続けられたであろうが、
多分戦後スピードは速められたと思われる。何
十年にわたり国費を使って植林が行われ、林道
が整備された。将来は分からないが、現在はス
ギは二束三文だ。その将来、30年後か100年
後か切り出すための10T車が通れる道が造られ
た。面積のほぼ99パーセントがスギ等で占めら
れている。人によっては「美林」に映るが私には
「悲林」に映る。私が自然に求めるのはその「多
様性」だ。多くの種があり、その種の中の循環、
それが新たな多様性を作る。スギ一種にしてし
まえばその循環は限られ多様性は阻害される。
何もスギを植えるなと言っているのではない。
多様性が維持できるよう皆伐はやめて自然林を
残して欲しいと言っているのだ。民有林に比べ
れば国費を使ったスギ林は見方によっては手
入れなど非の打ち所がない。また植林や林道
造成により地元にもお金は落ちたのだろう。しか
し目先の計算ではなく地球規模の考えが必要
な時代が来ていると私には思えるのだが・・。
以上は調べもせず全くの私の推測と独断で書
いたものです。事実に大きく反する内容があれ
ばお詫びいたします。
話を少し進めましょう。伊豆のわさびはどこで作
られているのか私は知らなかった。昭和の森か
ら天城峠に向かう国道の脇に僅かなわさび田
があるのは見たことがあるが、これだけでは需
要は賄えない。それがここ筏場に来て分かっ
た。沢一面わさび田だ。農家の方が冬でも忙し
いように働く姿が見える。私は最近ツタヤから借
りて昔東野英治郎が演じた「水戸黄門」全シリ
ーズを見た。今から30年以上前のビデオだ。
その中にわさび発祥の地静岡市安倍川中流
有東木のわさびを窮状打破のため若者が伊
豆に苗を持ち出しそれを黙認するシーンを思
い出した。その話が本当ならここであろう。



このわさび田を起点に約10qの林道は始ま
る。2qほど行った二股に分かれる所であっ
た。7〜8人位の人が、車を止め、食事をした
り、無線で連絡を取っている。その姿からすぐ
猟友の人と分かった。そして言うことには1年
前から入山許可証がなければ車での入山は
できないという。その理由は山に色々採りに
来る人がいるからだという。歩きはいいが車は
300M下の伊豆森林管理署※の看板とゲー
トの所に置くようにいう。そうでなければ彼等
が帰った後鍵がかけられ出れなくなるという。
2005、2006年頃は一般車両通行禁止で
あったが、自己責任で登山道入口まで入っ
ている。修善寺にある伊豆森林管理署の電
話番号を教えてもらい、日を改めて許可を
取って出直そうと思ったが、登山道入口まで
5q位と聞いて歩くことにした。しかし歩けど
も歩けどもで登山道入口に付いたのは午前
11時頃から歩き始めて午後2時であった。
5qではなく8q位はあったのではないか。
ゲートさえなければここまで30分であろう。
これで大きく予定が狂ってしまった。日没ま
での下山も心配される状況になってしまっ
た。猟友の人が車で来て親切にも分かりず
らい入口を教えてくれた。ここからは全く私
の推測であるが、春の山菜採り、秋のキノコ
採りもこれだけ植林が進めば成果は余り期
待できないはずだ。猟友の人に親切にして
もらって申し訳ないが、何十年も自己責任
で入山できたものが、(この林道はガレ場や
落石など危険な箇所は1カ所もなかった)
 この入山禁止は狩猟と何か関係があるの
ではないか。流れ弾にあたる危険を避ける
とか獲物が逃げてしまうとか他地域からの狩
猟を制限したいとか。少なくともゲートをもっ
と上の方にして欲しいことだ。(積雪期を除
き。この日もブナの所まで雪は全くなかった)
本当の理由は何か。私は知りたい。伊豆は
言わずもがな観光で経済が成り立っている。
旅館やホテルやレジャー施設に行くのだけ
が観光ではない。修善寺や中伊豆が合併
して伊豆市ができたが、行政はこのことに
対して何かすることはないのか。登山も立
派な観光だ。登山の前後宿に泊まり、帰り
にわさびをかって帰る人もいるはずだ。
※どうしても入山許可で登る人は伊豆森
林管理署に平日お問い合せ下さい
(0558−74−2522、ここは前橋にある
関東森林管理署の支所であるようだ)
狩猟の人から聞いた話で、3年ほど前に函
南原生林の日本一と言われる大ブナが枯
れたという。このことは残念なことであるが、
その人の話ではその原因が人が見学に来
て根元を踏み固めてしまったからだという。
反論する気はないが、木が枯死する原因
は色々ありどうも一面的過ぎるような気がす
る。
最後に要望をもう一つ。それは道標を整備
して欲しいと言うことだ。20〜30年前に作
られたままで。筏場林道から戸塚峠にゆく
入口の看板はとうとう見つからなかった。朽
ち果てたのだろうか。戸塚峠から皮子平の
ルートを取りたかったがどうも逆ルートを歩
いてしまったようだ。林道から入る所の看板
も地面に落ちていた。火口原の所の小さな
看板も落ちていた。保安林の看板は何枚
かあったが、道標は他にはなかった。皮子
平付近にはロープが道脇に張ってあった
が道に迷っているのではという不安はとうと
う最後までぬぐえなかった。この日は登山
者には全く会わなかった。新しい踏み跡も
少なく道は荒れ始めている。10年も経てば
登山道は廃道になる可能性すら感じた。ま
たこれだけのすばらしい観光資源が人目に
触れられることなく埋もれていってしまうのは
惜しい。道標10本立てる予算は僅か数十
万円であろう。
何年振りかで往復20キロは歩いたであろう
か、書きながら足が痛い。どうも今日は愚痴
めいた辛口のページになってしまった。お
詫びいたします。

2009,2,8撮影

アクセス
ゲートから登山道入口まで林道を2時間半
そこから火口原経由皮子平まで登山道を1
時間
相当な登山を要します。

河内の稲荷スギ(沼津市)

平成20年設置の真新しい看板

禅長寺とヒノキ

手前クスとナギの合着樹 奥ナギ

重文・頼政堂 中に
頼政と菖蒲御前の木像あり

頼政と菖蒲御前の墓
沼津市西浦河内(こうち)
※西浦は沼津市ですが市街よりかなり
南で伊豆の一角ですので伊豆に載せ
ました

河内スギ
目通り 6.8M
樹高 35.0M
2003,1,31市指定天然記念物

最近は山村の集落やその付近の山歩き
を兼ねて、ブナやミズナラなど偶然巨木
を見つけるというようなスタイルで「巨樹の
旅」を続けているのであるが、今回は「人
里の巨樹」に載っていた「河内の稲荷ス
」と「河内の大スギ」を見てやって来た。
特に目通り10.0Mを越す大スギに興味
を持った。この2本は地元では昔から知ら
れた巨木であったろうが、最近天然記念
物に指定された木で私が持っている資
料には無かったものである。
海岸沿いの垂れた市民の森の看板から
林道に入る。しばらく行くと案内看板があ
り大凡を頭に入れる。付近は静岡市近
郊の低山地のようにミカンの栽培が大々
的に行われている。集落を抜けると入口
に大きなヒノキのあるお寺がある。禅長
寺だ。車を止めて見学する。ヒノキは目
通り2.0M、樹高10.0Mだ。その奥に
ナギとクスの合着樹目通り2.5M、樹
高5.0M、ナギ目通り2.0M、樹高5.
0Mがある。その前に頼政堂がある。由
緒によれば頼政の子孫という高崎藩主
松平輝貞が1、698年ここに建てたと
書いてある。市に現存する木造建築で
は最も古いものらしい。以前にも書いた
が頼政は最初平家に付き以仁王の命を
受け平家討伐に立ち上がって討ち死に
した源氏再興の祖である。夫人は絶世
の美人菖蒲御前であった。2人の木像
が暗い堂の中にあるのがかすかに確認
できた。200M上の墓地には立派な墓
もあった。
さて稲荷スギであるが、最初道が分から
ずウロウロしたが、墓所の先700Mの路
端にあった。(大杉もこの道を上がってい
けばよい)。自生のスギでなかなか風格
がある。根元にウロがあったが、樹勢はま
だまだ旺盛のようだ。

2009,6,4撮影

アクセス
R17の入口から車で20分位だ。

河内の大スギ(沼津市) 
 
上部


根元


入口の案内看板
手前県設置 後ろ手製


スギ横の「老杉之記」石碑 S16年設置

市民の森 駐車場広場

同 芝生広場
   

同 駐車場横の分岐したアカガシ

同 左100M奥のヒメシャラ 何本かある

同 左100M奥のエゴノキの落花
まるで雪が積もったようだ

R17、市民の森看板から1qの案内看板
大杉と稲荷杉の記載 少々古い地図

広いよい道途中展望台から見る駿河湾
今日は富士山は見えなかった

戸田峠から始まる伊豆山稜線歩道
入口の看板
沼津市西浦河内(こうち)
※西浦は沼津市ですが市街よりかなり
南で伊豆の一角ですので伊豆に載せ
ました

大スギ
目通り 11.5M
樹高 40.0M
樹齢 300年とも400年ともの看板あり
    私は最低500年以上としたい
2002,3県指定天然記念物

木は林道の案内看板から急坂を10分位登
ったスギ林の斜面に立っていた。天城の
郎杉もそうだが、周りの木は切られ杉だけが
悠然と聳えている。その姿に何か神々しさを
感じるのは私だけであるまい。久し振りに目
通り10M以上の木を見てそれだけで満足し
てしまう。

2009,6,4撮影


アクセス
R17の入口から車で40分位だ。
西伊豆スカイライン戸田峠からも来れなく
はない。
大スギを10分ほど先に行けば沼津市の
市民の森がある。自然林も多く残っている。
キャンプ場もある。






稲荷スギ下の大滝

広いよい道の大きなエゴノキ 
根元でよく分岐するという

下垂した満開のエゴノキの花
鼻に近づけると微かにジャスミンの香り

分岐したヤマザクラ
根元周囲3.0M 樹高15.0M
先週に続き西浦河内にやって来
ました。先週道にいっぱい落ちて
いた白い花の正体が、アブラギリ
ではないかとかアズキナシではな
いかとか、私の図鑑ではなかなか
納得行きませんでしたが、エゴノ
キと分かりました。決め手は下垂
した花でした。この木は河内近辺
には特に多いようです。
この広いよい道は戸田峠まで5q
ほど続きます。道の周りは私有地
で柵が張り巡らされています。地
元で会った人の話ではこの道は
伊藤忠が造ったといっていました
が、私有地も伊藤忠のものなので
しょうか。何に使う土地なのでしょう
か?
展望台下の道脇に大きなヤマザク
ラがありました。

2009,6,8撮影

部田神社のコブ付き大クス(沼津市)
 へ た

最大のクス@

巨木所在図

H20設置の真新しい看板

2番目のクスA

ケヤキ

イヌマキ
沼津市戸田(へた)
部田神社
旧戸田村は2005年沼津市と合併
しましたが、伊豆の一角ですので伊
豆に載せました。

大クス@
目通り 6.7M
樹高 34.5M
すぐ横に指定のやや細い大クスがも
う1本ある(クスA)

1973年村指定天然記念物となりまし
たが、H18,3,28沼津市が再指定
しました。
6/4西浦河内の大スギ見学で戸田峠
に来た際、峠下の展望台の案内図に戸
田のこぶ付き大クスと御浜のマツ3本の
天然記念物が載っていたのでやって来
た。
デイサービスセンター横の森が部田神
社である。「ぶた」ではなくこれで「へた」
と読む。
社殿の周りに大きなクスを中心に、ケヤ
キ、イヌマキなどが取り囲んでいる。
指定のクスは樹齢300年以上と思われ
る。
アクセス
大瀬崎や修善寺、西伊豆スカイラインな
どのコースがある。
帰りに戸田峠への途中からルート127、
真城峠(さなぎとうげ)の道を初めて通っ
たが、広くて凄くよい道であった。


2009,6,8撮影

御浜岬のイヌマキ群生地ほか(沼津市)
 おはま

美しい戸田港 左の岬が御浜 御浜口より撮す




イヌマキ群生地

魚見の松

御浜遊歩道

戸田灯台
      
                               一番大きなイヌマキ
                               目通り3.0M 樹高15.0M 

大きなマツ
 
大きなマツ


大きなマツ
沼津市戸田(へた)
御浜
旧戸田村は2005年沼津市と合併
しましたが、伊豆の一角ですので伊
豆に載せました。

イヌマキ群生地
目通り 3.0M 最大
樹高 15.0M 最大
S55,11,28県指定
イヌマキは20本位に感じました。

魚見の松
目通り 3.0M
樹高 15.0M
S48,4,11旧戸田村指定天然記念物。
沼津市合併後は指定が引き継がれなか
ったようです。昔入り江に入る魚をここで
見張ったそうだ。
他に大きなマツ、目通り3.0M、樹高
15.0M位のものが、ザッと20本位はあ
りました。


シーズン前で平日なのか戸田港は本当
に静かでした。入口から岬まで600Mほど
なので遊歩道を歩いてみました。往復30
〜40分位です。天気もよかったので本当
にのんびりよい散歩ができました。
松林の中に道は付いています。魚見の松
は入口近くの本線脇にありましたが、他の
2本の指定のマツはとうとう見つけられませ
んでした。枯れてしまったのでしょうか?
最先端近くにイヌマキ群生地がありました。
自生地としては珍しいのでしょうが、規模は
それほど大きくはありません。
意外だったのは御浜口にある国民宿舎戸
田荘が閉鎖されていたことです。不況故か
競争が激しいのか、どういう訳でしょうか?
帰りにメインストリートを走っていると、駿河
湾深海名物のタカアシガニの料理店の看
板と客引きの女性が目にとまりました。

アクセス
上に同じ

2009,6,8撮影



信光寺のカヤ(伊豆の国市)
しんこうじ

西国33番観音霊場(江戸時代)
伊豆の国市寺家

カヤ
目通り 2.7M
樹高 6.0M

開祖武田信光の宝篋印塔の見学
にやって来た。
信光は武田信玄の14代前の人物
で、尼将軍北条政子より伊豆の守
護職に任じられたが、2代将軍頼
家が殺害されると出家し、この寺を
創建したと思われる。
このカヤは墓所の前に立ち、創建
当時のものかと思われるが、幹が
かなり下で折れている。

2011,1,19撮影

アクセス
手持ちの地図には載っていなかっ
たが、願成就院の150M南である。

音無神社のタブノキ(伊東市)
 
最大                        .
 
社殿左のもの
伊東市音無町1−12
音無神社

タブノキ 3本(内2本市指定天然記
念物)

目通り 4.1M  最大
樹高 12.0M
3本とも根元等にかなりの傷みがきて
いるが、まだまだ樹勢は旺盛だ。


「曽我兄弟と虎御前」関連でやって
来た。
音無神社は伊東氏の菩提寺最誓寺
の隣で、伊豆に配流となった源頼朝
が監視役の伊東祐親の娘八重姫と
逢瀬を重ねたところという。
タブは鳥居左に2本、社殿左に1本
ある。肌はスダジイのように縦に切れ
込みがあるが、葉はシイより大きく厚
みがある。看板がなければ分かりにく
い感じのタブだ。

2011,2,24撮影



鹿ケ谷公園のソメイヨシノ?ほか(熱海市)
ししがたに
 
ソメイヨシノ?                    メタセコイア

駐車場案内図

駐車場よりの全景 深い森で公園があるのか分からない位だ
私は行かなかったが向こう側の尾根まで公園です
 
すいれんの池                                鹿ケ谷本通り
トンボが飛び、スイレンが咲いていました             桜並木になっています。小鳥の声が一杯聞こえてきます
 
六万石の池                               山伏峠パラフィールドからか・・・。帰りに近くの空で見ました。
咲いていた花々

ナツツバキ                            サンゴジュ?                    ヤマボウシ
いずれも植栽
熱海市下多賀
鹿ヶ谷公園

ソメイヨシノ?
目通り 2.1M
樹高 15.0M
鹿ヶ谷本通り

メタセコイア
目通り 1.5M
樹高 15.0M
すいれんの池

春にスカイラインを通った時鹿ヶ谷
公園があるのを知ったが、その時は
時間がなかったので改めて訪れた。
駐車場に大きな案内図があり谷の
方に下る。直ぐの所で左右に分か
れるが、左のエゴノキの道を進む。
しかしこの道は進むに従ってササが
道をふさぎ歩きにくいので引き返す。
願わくばもう少し手入れをしてもらい
たいものだ。今度は右に進む。この
道はよく下の広い林道に突き当たっ
た。
そこに「すいれんの池」の案内があっ
たので立ち寄る。小さな池であった
が確かにスイレンが咲いていた。林
道を少し下ると「六万石の池」があっ
た。こちらも小さな池で鯉が泳いで
いた。
林道の周りにはサクラが植栽されて
いる。今日は他の来訪者は無かっ
たが、駐車場の標高が約560Mで
多分4月中旬にはさぞ綺麗で賑わう
のかもしれない。
この公園は自然公園といえるもので
自然の植生を生かしながらサクラな
どの植栽を施したもので、池にはトン
ボが飛び、小鳥の鳴き声が多く聞こ
えた。しかし来訪者は春の桜の時期
を除いては余り多くないのではない
か?。本当に自然が好きという人に
はいいが、”宝の持ち腐れ”というとこ
ろであろうか?






2011,7,6撮影

アクセス
伊豆スカイライオンはこの間有料。
尾根の方まで歩けば全周1時間は
かかると思われる。







天城丸山付近のブナ他及び川端文学碑のケヤキ(伊豆市)
 
ブナと思われる                            モミと思われる
 
ケヤキ                                 同・角度を変えて。天城峠越え旧道が下に見える


東屋近くの案内図
 
この看板から林道を200m程はいる                          終点の所の登山?口
 
沢沿いの珍しいコンクリート張りの登山道                        その上は広い登山道
  
更に上の道と交差                                わさび田
  
無理矢理フェンスを越え更に奥の登山道へ、より不鮮明に              その先は斜面で不鮮明かつ危険なので尾根に取り付く20分
 
出た所の林班界標                   手前で行き止まりで支線の様だ。奥へ進む
 
かなり歩いた所にあった林道標識。ここには唯一の道標あり、右・水生地、奥・八丁池          御幸歩道交差付近の東屋                   ・       
 
旧天城峠越えの未舗装(砂利道を残した)の車道                         川端康成「伊豆の踊子」文学碑。左端に顔のレリーフ
伊豆市湯ケ島
天城山・丸山付近

ブナ
目通り 2.4M
樹高 20.0M

モミ
目通り 2.4M
樹高 20.0M

ケヤキ
目通り 4.5M
樹高 25.0M

私のHOMEの「木の本の紹介」にある
「地球遺産・最後の巨樹」の著者吉田
繁氏のHP「Big Tree in the wor
ld」に「春の天城を歩く ツアーレポー
」があり5月撮影した丸山での天城
最大のブナの写真が載っていたので
見たいとやって来た。しかしこのペー
ジには丸山のどの辺りかまた入山の
ルートが全く書かれていなかった。
2週間ほど前ルートが分からないので
湯ケ島温泉にある伊豆森林管理署に
問い合わせた。与市坂から入る林道
が一般的であると思うがこの林道には
ゲートがあり趣味の樹木見学程度で
は許可が下りない。その時係りの人が
HPを調べてくれ道の駅「天城越え」
の所から道があるらしいという。
そこで今日は林道を歩くのはいやな
ので道の駅からのルートを登ることに
した。
現地に来てみると道標は無かったが
「ふれあいの森林」の看板から入り終
点の所から登山道らしい道がはっきり
付いていたので登り始める。急坂であ
るがコンクリート張りで歩きやすい。そ
の上は広い道でしばらく登ると巻き道
にぶつかる。右へ進むとわさび田に
出た。田に入らない様網が張ってあ
る。沢の向こうに道らしいものが見え
たので網を無理矢理越える。今まで
の道の続きの様であるが網で寸断され
ているのでこちらに来る人は少ない様
で道は荒れている。それでも進むと
斜面に付いた道に変わり見ると谷側
にザレて殆ど歩かれていない様に感
じた。これ以上進むと谷に落ちる可
能性もあるので止め尾根に取り付く。
植林帯なので下草はなく藪もないの
で尾根を外さない様に登った。20分
くらい登ると突然林道に出た。この境
界にブナが立っていた。
この林道はここで行き止まりでどこか
らきているのか分からなかったが取り
敢えず逆の方へ進む。そこにもモミが
立っていた。林道はなだらかで歩き
やすい。周りはスギ・ヒノキの植林帯
で自然林は全くない。小1時間歩い
たであろうか?三叉路があり初めて
道標が現れた。北へ直進したが全く
自然林はなく引き返し道標の八丁池
の方にすすむ。北に小さな丘のよう
な山が見えたが後で考えるとこれが
丸山だったのかも知れない。この道
は少し自然林もあって細いブナも見
えたが大木は1本もなかった。30分
位歩くと突然道標と案内図があって
ここが「下り御幸歩道」であることが
分かった。まさかこんな所に出るとは
・・・。確か20〜30年前八丁池に来
た時の帰りこの道を通ったのを思い
出した。家に帰り確かめてみたら19
93年で丁度20年前であった(このペ
ージ最初に記載)。ズーッと前の様
な気がする。辺りの雰囲気は何年か
前の台風による倒木か?道もふさが
れたのだろう・・。その復旧のための
伐採が行われたのか伐採した木が
散乱している。願わくばもう少し整理
してもらいたいものだが・・。来た道を
引き返すのではなくその明るくなっ
た歩道を水生地を目指して下りてゆ
く。
天城越えの旧道に差し掛かると川
端康成の文学碑がありその脇に大
きなケヤキが立っていた。碑はこの
ケヤキを目印に建てられたのであろ
うか。昭和も遠くなりつつあるが、中
学の頃「伊豆の踊子」や「雪国」を
夢中で読んだ頃を思い出し懐かし
いがその思い出も遠くなりつつある
のを痛感した。
水生地から道の駅まで車道を1時
間必死に歩いて旅を終える。

2013,7,2撮影

アクセス
道の駅からの道は道標もなくわさ
び田から上は荒れかつルートファ
インディングが伴いますのでお勧
めできません。
現在伊豆森林管理署に詳しい所
在地を問い合わせ中で、分かれば
また行こうと考えていますが、その
際は与市坂から入ろうと考えてい
ます。

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