掛川市 森町 牧之原市
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アクセス 掛川市伊達方字大泉寺 渡辺方 大ヒイラギと同じ所 建物の裏側 掛川市保存木 2000,2,13撮影 |
小夜の中山 久延寺のスダジイ(掛川市)
きゅうえんじ
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家康をもてなした茶室跡 |
久延寺の夜泣石 |
R1小泉屋裏の夜泣石 |
小夜の中山峠の旧東海道 お茶畑が広がる昔の雰囲気 の感じられる数少ない道である |
夜泣石を覗き込む旅人 |
掛川市小夜の中山 久延寺 スダジイ 目通り 4.0M 樹高 8.0M 惣門の右に傾いて立っている。 ごつごつした肌。樹齢は300年 前後か。上部は傷んで折れて いる。往時は樹高が15M位は あったであろう。道路に倒れな いように丸太で支えられている。 733年頃、行基により創建され たと言われている真言宗の古 刹。1600年、秀吉死後三成に つくか家康につくか迷っていた 掛川城主山内一豊が寺の庭に 茶室を設け会津の上杉景勝征 伐に向かう家康をもてなしたとい う有名な寺である。(NHK功名 が辻より) 既に茶室はないが跡地の碑があ る。また、本堂近くに夜泣石があ る。 |
夜泣石異聞~夜泣石が2つある~ 夜泣石は安藤広重の絵にもあるよ うに、東海道の沓掛の近くの路上 にあった。 明治元年天皇がここで休憩された とき、路上から久延寺に移された。 明治13年時の住職が浅草の勧業 博覧会に出品したものの偽物が先 にあり失敗する。船で焼津港戻され るもそのままになっていたものが、今 R1土産物小泉屋の裏の公園に移 されたようだ。明治18年と昭和12年 には所有権確認訴訟が行われ寺が 敗訴。 久延寺の夜泣石は夜泣石物語の小 石姫を弔うため昭和40年頃門前の 傍らにあったものが境内に移された。 詳しい情報は下記ホームページを ご覧下さい。 夜泣き石異聞アクセス R1バイパス金谷方面からトンネルを 3つ越えたところを左折。150M位行 ったカーブミラーの所を右折、旧東海 道の狭い道を500M程行く。 あるいはR1のトンネルを越え、小夜の 中山公園の標識を左折。 沓掛方面は道が狭いうえ、急坂なの で自信のない人は向かわないように。 芭蕉や西行の句碑や歌碑もあり、静 岡県では数少ない昔の東海道の雰 囲気が感じられる道である。 2006,12,27見学 2007,1,5再訪、撮影 |
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旧本陣 扇屋 今は幼稚園 当時建坪が230坪位あった |
幕府令を掲げた高札場 |
遠州33観音 相伝寺 |
旅籠 川坂屋 昔の宿場町の空気が伝わってくる |
掛川市日坂 事以八幡宮 クスノキ 掛川市指定天然記念物 目通り 6.0M 樹高 31.0M スギ 掛川市指定天然記念物 目通り 6.3M 樹高 36.5M 立派なスギで御神木になっている スギは樹齢500年前後と思われる |
事以八幡宮と目と鼻の先の東海道25 番目の宿場日坂宿を併せて訪れると 良い。 本陣や昔の旅籠が保存されている。 今の建物は1852年日坂大火後再建 されたものだ。 1600年代はこの付近に700名の村 民がいて、内300名が伝馬という荷役 作業についていたが、生活は極度に 苦しかったようだ。というのは参勤交 代の代金が一番早い薩摩藩でも3年 後であったそうである。本陣2代目片 岡清兵衛は1613年この窮状を幕府 に直訴し打ち首になったそうである( 翌年516俵の扶持米を得る。説と、 1644年3代目片岡金左衛門が強訴、 扶持米を得る、があるようだ) 興味のある方は下記ホームページを 参照下さい。 宿場の窮状を幕府に直訴2006,12,27見学 2007,1,5再訪、撮影 |
葉がある方がクロガネモチ |
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御殿左上に見える |
エノキモチから見る掛川城
見る位置によって形が随分違う |
掛川市 掛川城内 御殿裏 目通り 4.0M 樹高 15.0M 「エノキモチ」という木はない。 看板にあるようにエノキとクロガネモチの合着 であり、非常に珍しい。看板には駄洒落で「 絵の気持ち」と書かれている。 国の重要文化財御殿の丁度真後ろにある。 推定樹齢は100~150年である。 |
2007,1,8撮影 |
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惣門 |
木々の間より垣間見る山門と本堂 |
道元、中国での修行時の禅問答の像 意味は難しい!※ |
本堂入口の上諏訪立川一門の彫刻 |
牧之原市坂口 石雲院 スギ 無指定 目通り 4.5M 樹高 30.0M スラッとしたスギだ ご当地の「時代屋」というHPを見て いたらライターもふとしたことから発 見したという古刹が載っており、更 にスギやシイ、ヒノキの古木に囲ま れていることに興味を惹かれやって きた。 インター南の能満寺のソテツを久し 振りに見た後、裏山の小山城を見 学。その後寺に向かうが、地図で見 たより遠く2、3回道を聞く。寺は静 岡空港の滑走路のり面が迫る脇に 鬱蒼たる木立に囲まれていた。 惣門前に車を止め、階段を進む。 昇り切ったところに山門がある。い ずれも市の文化財だ。その奥に本 堂がありその左50M位離れたとこ ろに大きなスギが立っていた。 樹齢は300~400年前後と思われ 六地蔵の横のものにしめ縄が懸け られ御神木と思われる。 |
この寺は1455年開山の曹洞宗の寺 で、近くの切山にあった勝間田城主 が寄進をしたそうである。今川、武田、 徳川と3つの時代を経て、この間2回 の火災、1回の戦火により焼失、再建 されている。特に今川が滅んだ後、信 玄と家康のせめぎ合いは凄まじいもの があったようだ。 私見ではあるがこれだけの古刹故 もう少し大木があってもと思うのだが、 本堂に近くにあったものは火災で焼 けた可能性がある。 本堂と山門は1840年頃の火災の後 の再建で、信州上諏訪の立川一門の 作による彫刻が施されている。 よくは知らないが、このような寺は京都 辺りに行けばあるかもしれないが、先 般載せた湖西市の本興寺といい本寺 といい静岡県ではなかなか味わえな い雰囲気を持っている。 木だけでなく古刹に興味のある方に はお勧めだ。 ※その後県の埋蔵物調査の先生に 会う機会があり、お伺いしたところ、人 にはそれぞれ果たすべき役割がある という意味だそうだ。 アクセス 今回通らなかったが、ICより北へ2つ 目の信号を左折し、静岡カントリーク ラブを過ぎ、静岡空港の真下を通る トンネルを使えば一番良いように思う。 2007,1,29撮影 |
撰要寺のケヤキ他(掛川市)
ケヤキ タブノキ? |
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横須賀城城壁と階段 同レリーフ
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番所 |
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右手前がやや太い |
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立派な石柱右奥がスダジイ 観音様 |
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公園より100Mほど西の西富田方面に下る所の朽ちかけ始めた道標 ※こちら側に来る人は少ないものの道標は時々点検して欲しいものだ |
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