身延町

円実寺のクスと波木井山のヤマザクラほか
          は ぎ い          
  
クスと日蓮立像                              同墓地のシダレザクラ
 
ヤマザクラ                         その前の石灯籠と社
 
ケヤキ                     カヤ
 
北方から見る波木井山(左)            ・
 
円実寺山門 整った形の寺だ                       開基波木井実長像
  
分岐のモミ              送電線鉄塔より富士川を望む            鉄塔

波木井城址と説明文(出来立てでした)
咲いていた花々
  
     いずれも鉄塔下   ワラビ(とうが立っていました)       カキドウシ(一見スミレに見えました)             ミツバツチグリ
                                                                   ミツバのようなイチゴのような葉です
  
シロヤマブキ(円実寺)                   イカリソウ(杉山)                      タチツボスミレ(同)
       自生地は岡山・広島の2県のみ                葉は面長のハート形                     葉はハート形
身延町波木井
円実寺、波木井山

クス
目通り 4.5M
樹高 8.0M

シダレザクラ
目通り 2.5M
樹高 6.0M

ヤマザクラ
目通り 3.0M
樹高 15.0M

ケヤキ
目通り 3.0M
樹高 20.0M

カヤ
目通り 3.0M
樹高 15.0M             ・





本栖湖西岸の山に出かけようとやって
来たが、身延町の波木井という所に来
ると西に低いが全山落葉樹に覆われ
た山が見えたので急遽登ることにした。
ルートが分からないので農作業の男
性に聞くと、近くの円実寺の墓地を通
れば山道があると教えてくれた。
寺に来ると日蓮宗の寺で日蓮の立像
や開基波木井実長の像が立っていた。
波木井は地名でありまた人名だ。
山川出版「山梨県の歴史散歩」を紐
解くと実長は鎌倉時代の御家人で甲
斐源氏南部光行の子で、父南部氏が
頼朝の奥州征伐で奥州(盛岡)に移
った後もここに残ったので波木井氏と
称したそうである。日蓮宗の信者であ
って、日蓮に要請して今は久遠寺の
草庵に住まわせた人だ(日蓮は1274
〜1281年まで住んだ)。実長の館も
久遠寺総門近くの梅平という所にあっ
たそうである。遺言でここに墓が造ら
れ、文献では1283年に久遠寺がで
きた。今全国から久遠寺詣でを考え
ると波木井様々というところであろう
か?
帰りによった波木井城址の看板によ
れば1520年代末裔の波木井義実は
駿河の今川勢が攻めた時内通したと
して信玄の父信虎に攻め滅ぼされた
そうである。
話を元に戻そう。寺の庭に回ると山門
近くに盆栽風のクスが立っていた。山
梨県でのクスは少ない。池があったり
木が適度に配置されよく手入れてい
る。
墓地に回ると何本かのシダレザクラが
あって、中でも真ん中辺に盆栽風の
古木が立っていた。葉桜であったが
満開時にはさぞ見事なことだろう。
墓地を抜けるとよい山道が付いていて
進むと大きなモミがたっていた。最初
右に行ったが急に不鮮明になり左の
斜面を無理に這い上がり尾根に取り付
く。道は不鮮明であったが尾根をはず
さないように登ると送電線の鉄塔があ
る拓けた所に出た。下に富士川がよく
見えた。山頂はその直ぐ上だった。
丁度頂上に黒い肌の大木があった。
色が黒く肌はシナノキの様にザラザラ
している。シナノキにしては標高が低
すぎる。幹に若葉が付いていたので
採るとどうもヤマザクラのようだ。他にも
細めのものが何本かあった。ヤマザク
ラとしては大きな方だろう。
帰りは尾根を忠実に下るとモミの所に
出た。ルートはモミの所を左に取るの
が正解のようだ。
山を下りた所で農作業の老人に山の
名を聞くと波木井山と教えてくれた。
帰りは一里松から杉山に抜けたが、
途中大きなケヤキとカヤを見ることが
できた。

2011,4,27撮影