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宝蔵寺の宝篋印塔

墓地の最上段に建つ。「塔身」と「基礎」の部分が欠け、後から「塔身」1つに置き換えられた様であるが、全体としてはしっかりしている
この寺の開山の墓標と思われる。いつ420年忌が行われたか不明だが江戸時代初期前後のものと思われる


この写真は寺の上方より撮影
大山の麓、その山際の茶畑の中に
寺はあった。禅宗のお寺








静岡市葵区水見色










2012,3,6撮影

末高氏一族の墓の宝篋印塔

今は広い茶畑になっているが、元は末高城のあったところ。
末高氏一族の墓といわれるところに2基の宝篋印塔がある。右は分からなかったが左に「元禄七年」の銘が読めた。
初代の末高半左衛門が活躍したのは1570年前後なので、子孫の墓かそれとも半左衛門の供養塔か?
傷みもない1.5M程の立派な宝篋印塔である

半左衛門は1570年前後武田が駿河を支配した当時の武田の家臣で(岡部の岡部正綱の配下)、安倍川中流にいた「安倍七騎」の一人。
元は山賊の頭領とも言われ、ここ村岡村(今の平野)に城を構えた
墓地は広い茶畑の真ん中上にある。
中央に大きなエノキが立つ
静岡市葵区平野字トイグチ









広い更地の脇に登り口があり、上に
AUのアンテナがあってその後ろに茶
畑への道が付いている。
城は真ん中より下にあったそうだ。



2012,6,13撮影

浅羽克典著「安倍七騎」(静岡新聞社販売)の冒頭の写真を見て訪れた。

小夜の中山公園の宝篋印塔2基
 
左は右よりやや大きい。そして古さもより古いようだ。また相輪の部分がセメントで補修してあった。
由緒書がないので誰のものかいつ頃のものか全く分からないが、傷み具合からして江戸時代以前のものの様に感じる。
一方右のものはやや新しく姿も綺麗である。

旧東海道が近くを通っているので、この公園を造る時近くにあったものをここに移設したのかも知れない。
いずれにせよ誰のものか全く分からなかったのか?、想像するに参勤交代や旅でこの近くでなくなった相当地位の高い人のものであったに違いない
※私は2006年暮れと2007年1月近くの久延寺と旧東海道を少し歩いたことがある。その時はこの公園があることは全く知らなかった。
今回野鳥観察で近くに訪れた際道を間違ってここにたどり着き宝篋印塔があることに驚いた。
※これだけ立派な宝篋印塔は移設する際最低誰のものでいつ頃のものか徹底的に調べ上げて由緒に残して欲しいものだ。今からでも遅くはない。
掛川市に善処をお願いしたい。
 
五輪塔が2基あります(その内の1基)             立派な石柱、東屋そしてNTT中継アンテナ(近くに元市長の開設記念碑があったように思う)
掛川市佐夜鹿
旧東海道久延寺近く
※旧東海道より僅かに外れている様だが
近い(中継アンテナを目指してくればよい
と思う)
※久延寺までは車でも通行可












2013,1,1撮影


ほぼ完です