中 央 市
(旧豊富村)

石原家のケヤキほか

石原家のケヤキ

門から10Mの所から他の2本を撮す

門の前の天然記念物の石碑

若宮八幡神社のヒノキ

関原のエノキ

円楽寺のイチョウ

関 原 の 地 図

右 左 口 の 地 図

家康御殿場跡前の六地蔵

家康御殿場跡 右端方代の歌碑

案内看板にあった浄瑠璃の絵
1.石原家のケヤキ3本
中央市関原(旧豊富村)
豊富村指定天然記念物

目通り 5.0M もう少し太いかもしれない
樹高 25.0M     塀でみえなかった
樹齢 400年前後 推定

2.若宮八幡神社のヒノキ
中央市関原(旧豊富村)        
御神木 樹齢 400年

目通り 4.0M
樹高 15.0M

3.関原のエノキ
中央市関原(旧豊富村)

目通り 4.5M
樹高 15.0M
走っていて偶然見つけました

4.七覚山円楽寺のイチョウ
甲府市七覚

目通り 4.0M
樹高 13.0M
走っていて偶然見つけました


今日は雨で山歩きはできないので車で行
ける所にする。愛読のHP「峠のむこうへ」※
に中道往還が2回載っていたので、歴史
の散歩を兼ねて関原と右左口(うばぐち、
姥口という表記もあるらしい)を訪れた。H
Pには関原には石原家のケヤキと若宮八
幡神社のヒノキの記載がある。
(※イサバ・ニガイの越えた峠@ A
正直言って中道往還は名前すら全然知
らなかった。以前三方分山に精進湖から
登った女坂峠が中道往還の一部らしい。
当時の記憶をたどっても峠には往還の表
示は無かったような気がする。HPには吉
原から富士宮、朝霧高原、本栖、精進湖、
女坂峠、下芦川、右左口峠、迦葉坂、右
左口宿、中道のルートが中道往還であっ
たらしい。駿河と甲斐を結ぶ最短ルートだ。
駿河湾で採れた魚介類(これをいさば=
イサバというらしい)を吉原宿の問屋が集
め、馬に積み、四時頃発って、夜通し歩い
て朝には甲府の近くに達したそうだ。60q
位を15時間位で歩いた計算になる。今で
も右左口峠の近くには石畳が残っているよ
うだが、真っ暗な中松明を頼りに急な山道
をどんな気持ちで歩いたのだろうか。一人
では無かっただろうが、さぞ大変で心細くあ
ったろうと想像してしまう。
もう一つ興味があったのは、天正10年武田
勝頼攻めの際、家康と信長がこの道を利用
したことだ。信玄も駿河攻めの際、やはりこ

の道を使ったのだろう。この道は軍用道路で
もあった。家康は道普請など地元の協力やも
てなしにえらく感謝し御朱印を与えた。放浪
の歌人山崎方代の生家跡の横には家康が
造った御殿場跡がある。若山牧水も通ったよ
うだ。『木枯紀行』に女坂峠、右左口峠を通っ
たと書かれているらしい。
この道も昭和43年の自衛隊によるR113号
の開通、(ダートだが通行可能)。昭和48年
の右左口トンネルの開通により役目を終えて
しまう。

さて肝心の木の方であるが、石原家のケヤ
キは、木もなかなかのものであるが、驚いた
のはその屋敷であった。昔どのような位であ
ったかは分からないが、近所の人の話では
相当な旧家であるらしい。今は息子さんの
代でブドウ園を営んでいるという。門が開け
放しになっていたので勝手ながら10Mほど
入り庭園の間から奥の2本のケヤキを撮影
させていただいたが、これ以上入っていい
ものかどうかためらいやめにした。
関原のエノキ、七覚のイチョウは偶然見つけ
たものだ。

2009,5,7・8撮影

アクセス
関原と右左口の間は車で10分である。