2013年10月現在、山梨県側(身延町)は 土砂崩れで通行止めとなっています。 冬季閉鎖は11月から4〜5月ですが、 梅ヶ島側と身延側のゲートで開通が違いますので それぞれの役所にお聞き下さい。 静岡市役所054−254−2111 身延町役場0556−62−1111 |
・・・・・・・・・・・ /////////・・・・・・旅の安全を祈る観音様 |
//////// ヒガラがこちらを見ている 2010,5,6安倍峠にて 峠の所のオオイタヤメイケツの3M程 先の枝に来訪者が珍しいのかヒガラ がこちらをのぞいている。 峠を後にしてバラの段の尾根道に取 りかかる。ミズナラやブナの大木を見 ながら急坂を登る。この尾根はまるで エレベーターで上がるように景色がパ ノラマに見えてきて、またいつ来ても 小鳥の囀りが心地よい。小鳥の五重 奏だ。シジュウカラ、ヤマガラ、コガ ラ、それと名の分からない声も。そこ にコマドリのカスタネットが入る。渡り のコマドリがこんな時期からやって来 ているとは初めて知った・・。あんな 小さな体でやってくるとは驚異であ る。他にギィーというコゲラやアカゲ ラであろうかドラミングが聞こえる。身延から梅ヶ島温泉に抜ける途中、峠を過ぎた先の以前見たミズナラ6の少し手前の崖の途中に このカモシカは私たちが帰った後もこちらをずっと見ていた。まだ子供のカモシカで小さな角が生え始めている。 首の周りが白く、肉付きのよいがっしりとした体、フサフサとした毛。安倍峠では初めてだ。かわいいね! 2010,9,21峠の梅ヶ島側モルタル吹き付けの崖にて
ニホンジカ 安倍峠付近。1カ月前に3頭見た近くで今日は2頭。同じ個体なのかも知れません。2・3分いてガードレールの向こうに消えました。2013,10,10撮影 この写真4枚は3/9身延側より峠を目指した途中の 積雪の林道上に付けられた足跡です 左上はかなり小さな動物の足跡です 右上は大型の鳥です。山鳥とかキジとか 左下はシカでしょうか?蹄が2つ見えます 右下はウサギでしょう。これはかなりありました山で出会った動物たちー(2) 野鳥 私は「安倍峠の四季」を立ち上げた後に「野鳥の観察」を始めました。 そして「野鳥のアルバム」を立ち上げ現在継続中です。 この安倍峠にも何度か観察に来ております。 野鳥のさえずりを聞いたり、「どこにいるのかな」と姿を捜したりして 林道を歩くのも楽しいものです。 まだここで撮れた写真は少なく揃ってはいませんが、他の所で撮れた 写真や図鑑の写真を借用しながら、どんな野鳥がいるのか?安倍峠で聞いたり 見たりした野鳥を紹介したいと思います。 また今後ここで撮れた写真に順次切り替えてゆくつもりです。 (2013,8,28記)
シジュウカラ 留鳥ないし漂鳥
2014,4,23 八紘嶺登山口駐車場先
林道のどこにでもいます
ヤマガラ 留鳥ないし漂鳥
2014,4,23 八紘嶺登山口駐車場先
林道のどこにでもいます
ミソサザイ 留鳥ないし漂鳥
2013,5,17 八紘嶺登山口駐車場先
綺麗な声で囀ります。色は味噌の様
オオルリ 夏鳥
他の所の写真を転用
所々で5-6月綺麗な声で囀り、色も綺麗。日本三鳴鳥
運がよければ梢で鳴く姿を見れるかも
ヤマドリ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
2013,8,23逆川源流で3羽驚いて飛び立つ
夏は安倍川中流から”避暑”にやってくる?
コゲラ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
キツツキで一番小さな鳥。所々でギィーギィーと鳴く
ホオジロ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道のどこにでもいます。♂は目立つ所で綺麗に囀る
キセキレイ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道のどこにでもいます。林道道先案内人
メジロ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道のどこにでもいます
キジバト 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道のどこにでもいます。よく地面でエサをついばむ
ヒヨドリ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道のどこにでもいます。キィーキィーとけたたましい
ハシボソガラス 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道のどこにでもいます
カケス 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
声はジャージャーときたないが色は綺麗な鳥
アカゲラ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
夏は1000m前後。2013,7,18峠で飛翔を目撃
時々木を嘴でたたくドラミングをする。ケケケと鳴く
ウグイス 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
お馴染みホーホケキョ、日本三鳴鳥
藪の中にいて姿は殆ど見れない
エナガ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道のどこにでもいます
ジョウビタキ 冬鳥
他の所の写真を転用
林道の下の方のどこにでもいます。胸は黄色で綺麗
モズ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
林道の下の方のどこにでもいます
ヒガラ 留鳥ないし漂鳥
2014,4,23 八紘嶺登山口駐車場先
非常になつっこい鳥で近づいて来る場合あり
数は少ない。カラ類で最小。顎に黒のよだれかけ
ソウシチョウ 留鳥ないし漂鳥
他の所の写真を転用
東南アジアからヒマラヤ原産の篭抜け鳥。
5,17と7,18 1300m付近で多数鳴く。姿は見せない
コマドリ 夏鳥
2014,4,23 八紘嶺登山口駐車場先
ヒン カラカラと駒=馬のように囀る。いつも笹藪の
中。尾を立てて鳴く姿は見事。日本三鳴鳥
サンショウクイ 夏鳥
図鑑の写真を借用
2013,5,17 1400m付近でヒリヒリと鳴く
ツツドリ 夏鳥
図鑑の写真を借用
毎年峠付近に立つと遠くからポォポォポォポォポォと聞
こえてくる
ゴジュウカラ 留鳥ないし漂鳥
2014,4,17 八紘嶺登山口駐車場先
ヒッ ヒッ ヒッと甲高くなく。木を逆さに降りれる
冬は少し低地に移動
コガラ 留鳥ないし漂鳥
2014,4,23 八紘嶺登山口駐車場先
顎の黒のよだれかけがない
センダイムシクイ 夏鳥
2014,4,23 八紘嶺登山口駐車場先
ピヨピヨ ジー(焼酎一杯 グイ)と鳴く
木の花 満開のシロヤシオです 花が先行するアカヤシオと違いシロヤシオは葉と花が同時だ。 白も黄緑も何と鮮やかでベストマッチなことだろう。 2010,6,4バラの段途中 シロヤシオの咲く安倍峠からバラの段への急な登り 2年間の不通で3年振りに訪れた。2013,5,31撮影 七面山とシロヤシオ。同 見事なシロヤシオの老木。同 ”気品”という言葉を使うならこういう事を言うのでしょう。同 今年は下記の様なトウゴクミツバツツジは花期が過ぎたのか全く咲いていませんでした トウゴクミツバツツジの群生。山を染めたようなむらさきだ。 2010,6,4バラの段途中
コブシ安倍峠駐車場に咲くコブシの花。幹直径15p。 まさか植栽とは思えないが、安倍奥で自生のコブシ を見たのは今回初めてだ。この1本以外は見たこと がない。2010,5,4 ・ チチブドウダン6/20は濃赤色の花が満開であった が、今日はかなり落花していた。 周りにはもう花は散った後ですが シロヤシオが何本かありました。2009,6,26バラの段途中 サラサドウダン チチブドウダン近くには帯白色のサラサドウダンも咲いていました。 ※チチブドウダンもサラサドウダンも初 めて見る木で、図鑑を見ながら散々迷っ たが、間違いはないだろう。 2009,6,26バラの段途中
逆川源流(さかさがわ) 安倍峠の静岡市側の谷には逆川が流れています。 積雪の逆川を安倍峠から下ってみました。 先行者の付けた足跡を辿りながら約40分 かかりました。この方は登山に慣れているのか 積雪で道が隠れているのにほぼ忠実に 夏の登山道を辿っていました。途中何度か 沢を横切ります。長靴の中に雪が入って しまいました。 (2011,3,13撮影)・・・・・・ 峠から10分。川の源頭部で流れが消えます。・・・・・・・・・・・・ 瀞状の拓けたところです。段々谷が深くなって行きます。・・・・・・・・・・・・最後は第1P上の林道に出て終わりです(白い筋が登山道)。・・・・・・
林道から見える高い山 早朝の富士(この後雲に隠れてしまった) 2011,3,9大城ゲート上 新雪の七面山 2011,3,9大城側中間 黄昏の富士 2010、9、14休憩所にて 八紘嶺の上に輝く夕焼け 2010、9、14休憩所にて 峠南方のバラの段(峠は左の窪んだところ) 2011,」3,13 大谷崩の頭 2011,3,13梅ヶ島側林道にて
山が赤く染まる時安倍峠下 安倍峠下 安倍峠下 恋ヶ滝付近から温泉方面
秋たけなわ、温泉街や安倍峠は車や人でごったが えしていた。紅葉は温泉の上から始まっていたが、 恋ケ滝付近からしばらく上辺りが一番綺麗であった。 安倍峠にはそれこそ何十回と来ているがこれほど 人が集まっているのは初めてだ。日本人は桜好き だが紅葉も好きなのですね。これには驚きです。 天気もよくカメラを構える人、食事を取る人、犬の 歩をする人、自転車で走る人、歩く人、登山の人、 いろいろな人がやってくる。 今年は今までに一番多く安倍峠に来たが今日が 今年の最後になるだろう。また来年も来れるといい が・・・ 2010,11,3
林道豊岡梅ヶ島線 冬季閉鎖の林道豊岡梅ヶ島線を歩いてみました。 この林道は梅ヶ島温泉から身延町のR52交差 点まで約20q位で距離としても長くまた標高 も安倍峠の1488Mとかなり高いところを通 っています。冬季閉鎖でなければこの林道を今は 歩く人はほとんど無いでしょう。・・・・・恋ヶ滝の上までは雪はありませんでした。
恋ヶ滝を過ぎ、その上の逆川に架かる橋を過ぎて500M
程行くと沢沿いの日陰となり約35pの深い雪が約1q続
きます。ここが一番大変でした。足跡を辿ってゆきます。
標高は約1300Mです。・・・・・ ・・・・・第1Pの手前になるとまた雪が無くなります。第2Pの手前よりまた雪になります。・・・ ・・
峠付近の県と市の看板の所です。
日当たりがよいので雪は浅いです。山梨県側の峠付近です。足跡はここまでで身延側には付いていません。・・・・・以上2011,3,14 ・・・・・山梨県側の中間点です。この先は雪はかなり深くなります。 ・・・・・大城上のゲートです。この上しばらくは雪はありません。・・・・・ 以上2011,3,9
「古道」を訪ねて 多分この項がこのシリーズの最後となるかもしれない。 信玄以前より身延と安倍川上流とが安倍峠を越えて 行き来があったに違いないが、信玄の梅ヶ島近辺の金山 の開発とその甲斐への運搬に際して安倍峠越えは大きな 役割を果たしたであろう。そのことから少なくとも 500年は「古道」として人と商業の道として利用され てきたと考えていいだろう。 ここ数十年かの高度成長と過疎化によって、また林道の 開通と車社会の進展によっていわゆる「古道」を歩く人は 地元の人も含めて少なくなり、荒れ果て消滅してしまった。 梅ヶ島寄りは温泉から八紘嶺登山口、そこから逆川沿い の安倍峠への登山道は多分昔のままの「古道」の可能性 が高いと思われる。登山者が利用する道だ。一方身延側は斜面が 急で崩れ易いことから歩いたことはないが「古道」がのこされて いる所は少ないのではと推察される。 全長20qのこの道を今でこそ車で1時間程度で走ってしまうが、 昔の人は1日がかりで越えたであろう。今は冬季閉鎖で 冬は車は通れないが、昔は冬も雪の中を歩いたのかもしれない。 その状況下で時には吹雪で時には豪雨で命を落とした人もいた のかもしれない。 ここで私が取り上げたいのは、歩くことしかなかった時代の 「古道の痕跡」を訪ねることにより先人の苦労に思いを馳せ、 忍ぶことである。 その「痕跡」は単なる「道」ではなく、ここでは主に安全と祈りの場所 としての「石仏」や「石造物」を捜すことから始めたいと思う。 この項を進めるに当たって梅ヶ島側と身延側に便宜的に分けます。 しかし余りに情報が少ないので風呂敷は広げたもののどこまで 目標に迫れるか心配です。
「身延側」 先の身延町役場の方の話では妙覚寺にこの地を支配した遠藤伊勢守 の墓や、江戸時代の「甲斐国史」に大城の奥の小谷城橋の手前に 関所があったと書かれているという(未発掘、未確認)。 また4/13妙覚寺の帰り下りてくると畑仕事をしていた 古老に会う。昭和6年生まれの望月さんという方で、大家(本家) であり800年の歴史があるという(鎌倉時代の頼朝の富士の 巻き狩りの回状が家にあるという=真偽は不明だとか)。 この方の話で興味を持ったのは、早川町から山越えでトロッコ があり(戦争前後であろうか?)、早川町から木材をこのトロッコで 運んだとか・・・。安倍峠の下にブナ平という所があってブナやケヤキの 大木を切り出しトロッコで運んだそうだ。 古道で言えば、下の宮沢川のシダレザクラの根元に石造物があること、 ゲートの上の乙女坂という所に石造物が、また堰堤の向こう岸に 金山観音いう所があり観音様が安置されているらしい(古道とは 関係なく、金山の関係らしい)。 遠藤伊勢守の供養塔宮沢川のシダレザクラ根元の石造物
供養塔は本堂前の大きなシダレザクラの脇に建っています由緒によれば伊勢守親子は
1560年信州での戦いで戦死
し(川中島の戦いであろうか、
それとも坂城の村上氏との
戦いあたりであろうか?)、死
後家臣がここに葬ったと書か
れている。また子孫の現静岡
市の遠藤新田の村長が1852
年墓を移転するに当たり(多分
遠藤新田に)、ここに供養塔を
建てたと記されている。
多分遠藤氏はここに住み武
田の家臣として梅ヶ島の金山
の運搬や道普請などにも関係
したと思われる。さらに関所が
あれば関所の管轄も行ったの
であろう。由緒です
その下の古道と石造物
シダレザクラが満開でした
一番右の石造物には天明の銘あり
この場所は望月さんが教えてくれました。湯平の石造物 ゆだいら
年代は読みとれませんでした
一級河川宮沢川の右に古道であろうか?が付いていますシダレザクラから100M下の
道の両側に「南無妙法蓮華経」
の銘の石造物がありました(上)。
この造はシダレザクラの所にい
たご婦人が教えてくれました。湯平の双体道祖神
ここも大城ですが、大城から
車で下ってくると、脇道の
分岐にこの石造物が建って
います。
銘は「南無妙法蓮華経」で
右は日蓮上人600遠忌、
左は700遠忌の記念塔で、
門野の本妙寺の銘がありま
す。
元々ここにあったというより
道路拡幅の際ここに移設さ
れたのかもしれません。以上いずれも2011,4,13撮影
拡大上記より150M程来ると交差する
門地にこの双神物は建っていまし
た。
天明の1782年の作で、裸体の双
神物は珍しいとか・・・。
右の石灯籠は安政の1857年作だ
そうです。
いずれも望月さんという方の寄進だ
そうですが、大城には多い姓のよう
です。
古道がどこを通っていたか知りませ
んが、この近くを通り本妙寺に抜け
たのではないかと推測されます。
「梅ヶ島温泉側」 梅ヶ島温泉への車道ができたのはいつ頃のことであろうか? 多分昭和の初め頃であったのではないだろうか? 思い出すのは小学校の頃(今から55年ほど前) 親に連れられてバスで温泉まで来たことがある。 戦後の物資の乏しい頃で「木炭で走るバス」だった ような気がする。それと舗装はしてない道で 温泉に着くまでにすっかり”酔ってしまった”記憶がある。 日帰りの市営露天風呂が今のおゆのふるさと公園辺りにあって 入るとタマゴ臭いヌルッとした感触と露天が恥ずかしいかったのを 今でも覚えている。今は「黄金の里」に移ってしまった。 梅ヶ島が金山で栄えていた頃は鉱夫や金山奉行など相当の 人や民家、屋敷があったのだろう。信玄や家康、秀忠、勝海舟はもとより 身延側からも湯治に多くの人が来たらしい。その後金は採れなくなり 温泉宿も江戸時代に1軒あったようであるが明治に今の梅薫楼に 引き継がれたものの戦後まで梅ヶ島が大きく賑わうことはなかったのだろう。 (戦争中は下部温泉と同じく大日本帝国陸軍病院の分院として接収され、 将校たちの療養所として、一時期傷病兵の湯治に使われたらしい)。 湯治客相手の静かな温泉宿であったのだろう。 高度成長の頃温泉宿が沢山できて今のように賑わうことに なった。しかし温泉周辺の”古道”の痕跡は逆に失われて しまったのだろう。現在の所あまり見付けることはできない。 安倍峠登山口付近の石造物など
「すりいし」と読むのでしょうか?
信玄の時代、温泉より下の日影沢金山
で金鉱石をこの石の窪みですり潰し
水に流して金を採ったものだそうです。
梅薫楼横に設置、観光用にここに移設したと
思われます。
裏も窪んでいます。
身延七面山道路開通記念の碑
昭和14年
梅薫楼横に建っています。
真ん中に「南無妙法蓮華経」と彫られています。
身延七面山道路とはどこの道路を指すのでしょうか?
今ある安倍峠への登山道なのでしょうか?
それともハ紘嶺分岐から七面山への登山道を指すのでしょうか?安倍峠登山口
ここには観音様など石造物は安置されて
いませんでした。 以上2011,5,31撮影
ハ紘嶺分岐の温泉へ下る道です。
広い道で古道の雰囲気を醸し出している。
同・七面山へ登る道です。横に広い駐車場があります。分岐で観音様などの石造物
がないかと捜したが見付ける
ことはできなかった。
長い年月の間に失われてしま
ったのだろう。
2011,6,3撮影
ほぼ完です